60_リアリティ追求の歴史と文化の軌跡03

左に整然と並ぶサーバールーム、右に散らかったガレージが描かれた油彩風の絵。秩序と自由という、レースシム文化の二つの道を象徴している。
秩序か、自由か。rFactorとiRacing、二つの理念がレースシムを新しい時代へ導いた。

🏁 レースシム ─リアリティ追求の歴史と文化の軌跡─

第3章 二つの道──商業と制度、そして“オンラインの時代”へ


──rFactorが生んだ“自由の文化”は、
2000年代後半には成熟とともに分岐を迎えつつあった。

プレイヤーが世界を作り、Mod職人たちがその世界を彩る。
だが、文化が広がるほど秩序は求められ、
「自由のままでは続かない」という現実が見え始めていた。

この時代、レースシムは二つの方向に進む。
ひとつはヨーロッパで、もうひとつはアメリカで。
それは、“職人文化の商業化”と“制度としてのリアル”という、
まったく異なる理想だった。


職人たちの商業革命──SimBin Studios の挑戦

スウェーデンのSimBin Studios
(後の KW Studios/RaceRoom Racing Experience 開発元)は、
rFactorの技術をもとに、2004年『GTR FIA GT Racing Game』を発売する。

これが“文化を製品に変えた”最初の成功例だった。
職人たちが作り上げたリアル志向の世界を、
FIA公認の公式ライセンス作品として販売したのだ。

当時、Mod文化の多くは無償で共有される“ファンメイドの世界”に留まっていた。
しかしSimBinは、そこで磨かれた物理モデルや車両制作技術を、
実在のFIA GT選手権を再現する正式タイトルへと昇華させた。
rFactor文化を源流とする“職人のリアル”が、初めて商業的な成功を収めた瞬間だった。

『GT Legends』(2005年)では往年の名車を再現し、
『Race 07』(2007年)ではWTCC公式タイトルにまで発展。
ヨーロッパの職人文化が“公式レースシム”へと昇華した。

SimBin Studiosは、Mod職人やサウンドエンジニア、物理研究者を抱え、
rFactor文化を洗練された商業製品へと変換した。
その結果、彼らは小さな工房から業界ブランドへ成長する。

しかし、成功の裏でひびが入る。
経営的な混乱と、内部の方向性の違い。
優れた職人たちは次々と独立し、やがて
SimBin StudiosはSector3 Studios(のちのKW Studios)へと再編されていく。

それでも彼らの哲学は生きた。
“職人文化を持続可能な形で残す”という理念は、
後の『RaceRoom Racing Experience(R3E)』に受け継がれた。

「誰もが走れるリアルを、誰もが支えられる仕組みに」
──SimBinからRaceRoomへ続いた、ヨーロッパ流の進化。


秩序の時代──iRacingが作った「もう一つの現実」

同じ頃、アメリカではまったく逆の方向から
“リアル”を定義し直そうとする動きが始まっていた。

Papyrus Design Group の創設者デヴィッド・ケイマーらが立ち上げた
iRacing.com Motorsport Simulations は、
「Mod不可」「サブスクリプション制」「完全公式運営」という
徹底した管理型レースシムを掲げた。

2008年に始まったiRacingは、
rFactorの“誰でも作れるリアル”に対し、
“誰もが同じルールで走るリアル”を打ち出す。

🧩 レーティング制度とは?
各プレイヤーの実力や安全性を数値化するシステム。
現在のeスポーツ文化でも採用される“競技の基盤”となった。

これは、レースシムを「遊び」から「競技」へ進化させた転換点だった。
公式が用意する車とサーキット、
厳格なレーティングとライセンス制度。
オンラインレースが現実のモータースポーツのように運営される

だが、その完璧な秩序は同時に、
“創る自由”を切り捨てることでもあった。

rFactorのように世界を拡張することはできず、
走る場所も車も、すべては公式の手の中。
iRacingは「最も正確で、最も制限の多いリアル」だった。

それでもプレイヤーは増え続けた。
競技としての明快さ、安定したオンライン環境。
やがてiRacingは“秩序のリアル”の象徴となり、
シミュレーション文化の中心を担うまでに成長する。


しかし、その中心は、誰にでも開かれた場所ではなかった。
月額の会費に加え、車両やコースを一つ買うごとに数千円がかかる。
本気で続けるには、現実のモータースポーツと同じように、
覚悟と投資が求められた。

レーザースキャンされたサーキットや公式ライセンス車両は、
いまでは他のシムでも一般的になりつつある。
しかし、レース運営そのものまで公式が管理するのはiRacingだけだった。
サーバーの維持、レーティング制度、シリーズ戦の開催、
すべてが一つのシステムで完結していた。

その徹底ぶりこそが、
iRacingを“サービス”ではなく“もう一つの現実”にした理由だった。

高額な費用は、ただの課金ではなく、
「この世界に参加する覚悟」を支える仕組みでもあった。
だからこそ、iRacingは「誰でも遊べるシム」ではなく、
本気で“その世界を選んだ者”たちの競技へと進化していった。


静かな第三の道──“再び自由を求めた工房たち”

まだ薄暗い夜明けのサーキットのほとりに見える小さな開発事務所。

iRacingが制度を築き、SimBin Studiosが商業を確立したあと、
レースシムの世界は一度、静けさに包まれた。
2008年から2013年――
秩序と商業の二つの道が成熟する一方で、
“文化としてのシム”はどこか遠のいていた。

しかしその陰で、
新たな理想を模索する小さな集団が動き始めていた。

彼らはもう一度、「感じるリアル」「作る喜び」を取り戻そうとしていた。
現実のレース場の片隅で、限られた機材と情熱だけを頼りに、
物理と感覚のバランスを見つめ直す人々がいた。

その名を、まだ誰も知らなかった。
だが、後に世界中のシムレーサーが口にすることになる――
あの“工房”の名を。


次章予告

第4章 新たな自由──Assetto Corsa、再び“作るリアル”へ
第2章 Modという革命──“作れるリアル”が文化を広げた(前の章)

静かに熟成を続けた“第三の道”が、
やがてレースシムを再び動かすことになる。
その始まりは、イタリア・ローマ郊外の小さな工房からだった。


📚 参考資料

※本シリーズは、各時代の資料・インタビュー・開発史をもとに再構成した記録です。
可能な限り事実に基づいて執筆していますが、一部には当時の証言や推測を含む部分があります。
内容に誤りや補足情報がありましたら、コメントなどでお知らせいただけると幸いです。

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