60_リアリティ追求の歴史と文化の軌跡04

夕日が差し込むオフィスで、開発者がモニターに映るレーシングカーの3Dモデルを見つめている。Assetto Corsaの誕生を象徴する油彩風の絵。
小さな工房から生まれたリアル。Kunosが再び「作る自由」を取り戻した瞬間。

🏁 レースシム ─リアリティ追求の歴史と文化の軌跡─

第4章 新たな自由──Assetto Corsa、“作るリアル”の革命


イタリアの片隅から──“零細工房”の挑戦

2005年。
rFactorが世界中で“自由の文化”を生み出していたその頃、
イタリア・ローマ郊外のレンタルサーキットの事務所の一角で、
数名の開発者が静かに新しいシムを作っていた。

それが、Kunos Simulazioni(クノス・シミュラツィオーニ)
企業でもスタジオでもない、小さな工房だった。
スタッフは十人にも満たず、予算もわずか。

2014年。
世界はまだ、rFactor2の物理精度に息を呑みながらも、
その難解さに疲れ始めていた。

そんな中で、イタリアの小さなスタジオ Kunos Simulazioni が静かに名乗りを上げた。
そう。彼らが発表した新作――Assetto Corsa(AC)

「理論ではなく、ドライバーが“感じるリアル”を作ろう。」

rFactorが複雑な多点物理で“理論のリアル”を追い求めたのに対し、
Kunosは体感のリアルを最優先した。
その象徴が、1点接地タイヤモデル
接地面を一点で扱う大胆な簡略化だったが、
計算負荷が軽く、入力遅延が極めて少ない。
結果として“軽く、滑らかで、直感的にリアル”な走行感覚が実現した。

そこには絶妙なリアリティのバランスがあった。
グリップの限界や慣性の流れを感じ取れるだけの計算を残し、
余分なノイズを削ぎ落とした。
結果として、誰が触っても「自然」と感じる挙動が生まれた。

ACは、技術よりも“感覚”を信じたシミュレーターだった。

この“軽さ”が、Kunosの哲学の核心だった。
物理の正確さより、感じたときの自然さ
それは数値ではなく、人間の感覚に寄り添うリアルだった。


「Mod文化を排除しない」──小さな現場の現実的選択

Kunosは当初からModを推奨していたわけではない。
正確には、「禁止するリソースがなかった」。

巨大な運営網もDRMも、検証部隊も持たなかったKunosは、
ファイルを閉じるより、開いておくしかなかった。
その結果、ファイル構造は驚くほどシンプルに設計されていた。
テキスト・画像・3Dモデル、それだけ。
フォルダを開けば誰でも設定を覗ける。

ACの構造は驚くほどシンプルで、
フォルダを開けば誰でも物理設定を覗けた。
車両もサーキットも、テキストと画像とモデルの集合体。
rFactorよりも軽く、圧倒的に扱いやすかった。

この“構造の軽さ”が再び世界中のMod職人を呼び寄せた。
かつてrFactorで腕を磨いた古参たちが戻り、
新しい世代が次々と加わった。

Kunosは世界を変える意図など持っていなかった。
だが、自由を許した瞬間に文化が動いた。

結果としてACは、公式よりも非公式の方が豊かな世界となった。
それは開発者が想定していなかった形の成功だった。


コミュニティが「再開発」したゲーム

AC発売直後、SteamフォーラムやRaceDepartmentには
数百を超えるModが溢れた。

実在車両、再現コース、架空サーキット。
さらには“自動車学校Mod”“首都高Project Mod”のような、
既存のゲーム文化を再構築する試みも生まれた。

良い話ばかりではない。
肖像ライセンスを持たない実在車両、
他社ゲームから抽出されたモデル、
『グランツーリスモ』にしか存在しないはずの車両が移植され、
まさに“無法地帯”だった。

しかし、その混沌の中で職人たちの情熱は止まらなかった。
Kunosも唸るほど完成度の高いModも数多く登場した。
一方で、Modの転売や違法再配布が横行し、
Kunosには打つ手がなかった。


“選択は自由”──Kunosの哲学と限界

共同創業者のステファノ・カシーロは、後にこう語っている。

「我々は、すべてをコントロールすることを諦めた。
 代わりに、プレイヤーが決めればいいと考えた。」

それは小さな開発者の現実的妥協であり、
同時に技術者としての潔さでもあった。

Kunosは見て見ぬふりをする以外、方法がなかった。
だが、その“放任”が世界中の職人を解き放つ。

やがてコミュニティ内には、自律的な倫理観が芽生えた。
RaceDepartmentなどの大手フォーラムでは、
「他人のデータを盗まない」「作者を明記する」といった
暗黙のルールが形成される。

国家のない文化圏に自生した法。
その秩序は脆くも温かく、
自由と混沌の均衡のうえに成り立っていた。


再び生まれた“影の開発者”たち

2018年以降、ACは本来の寿命を超えて進化を続ける。
その原動力となったのが、CSP(Custom Shader Patch)
ロシアの開発者 Ilja Jusupov によって作られたこの非公式拡張は、
内部レンダラーを書き換え、動的ライティング・雨天・PPFXを実装した。

さらにPeter BoeseのSol → Pureによる天候Modが加わり、
非公式ながら“公式を超えた更新”が行われていった。

ACは、もはや単なるゲームではなかった。
世界中の職人が“再開発”を続ける、永続するプラットフォームになっていた。
Steam上では「2014年発売」のまま、
実質的には2020年代まで進化を続けた。

“完成”という概念がなく、
誰かが手を入れ続ける限り、ACは呼吸し続けた。


商業の現実──505 Gamesの影

文化的には頂点を極めたACだったが、
商業的には限界を迎えていた。

低価格で販売されたバニラ版は、
爆発的なプレイヤー数に反して収益性が低かった。
小規模チームに継続開発を支える体力はなかった。

そこに手を差し伸べたのが、Digital Bros(505 Games)
彼らの資金と流通網により、ACは世界展開を果たすが、
同時に「Modによる混沌を整理する」圧力も強まる。

次回作『Assetto Corsa Competizione』では、
ライセンス管理と安定運営を優先し、Modを封印。
“自由の代償”を払う時代へと入っていく。

文化的には成功、商業的には妥協。
ACは、その狭間で燃え尽きた。


Unreal Engineの時代──美しく、難しく

2019年。
KunosはUnreal Engine 4を採用して『ACC』をリリースする。

この決断は、時代の流れだった。
グラフィック表現は急速に進化し、
小さなスタジオが独自エンジンを維持するのは現実的ではなくなっていた。

ただし、ここで誤解が多い。
ACCの物理エンジンはUnreal製ではない。
車両挙動はKunos独自の物理エンジンが担当しており、
Unrealは主に描画と演出部分を担っている。
つまり、問題は“切り替え”ではなく“同期の難しさ”にあった。

描画と物理を異なるエンジンで同時に動かすため、
初期のACCは頻繁にカクつき、クラッシュも多発した。
少数精鋭のKunosにとって、それは苦しい時代だった。

それでも彼らは諦めず、
地道なアップデートを重ねて安定化を果たし、
やがて「小さな工房が大企業タイトルに勝る品質を作る」という信頼を取り戻す。


ACが残したもの──“作るリアル”から“支えるリアル”へ

ACは商業的には報われなかったかもしれない。
だが、文化的には“永遠の実験場”として生き続けた。
いまも世界中のMod職人たちがファイルを開き、
改良を重ね、新しい現実を作り続けている。

“リアル”とは何か。
Kunosが出した答えは、たぶんこうだ。

「リアルは作るものではなく、支え合うもの。」

彼らの哲学は、今も多くの開発者に受け継がれている。
ACは終わっていない。
それは、誰かがハンドルを握る限り、今も生きている。


🏁 対比するもう一つのリアル──Gran Turismoの進化

同じ時代、家庭用ゲームの世界でも“リアルの探求”が続いていた。
それが、『グランツーリスモ4〜6』 の時代だ。

こちらはMod文化を持たない“閉じられたリアル”だった。
だがその代わり、誰でも美しい挙動と映像でリアルを体験できる世界を作り上げた。

Modを開放しなかった代わりに、
最初から完成された理想を提供した。

多くのプレイヤーは初めてハンコンを手にし、
コックピット視点で“リアルを感じる”喜びを知った。
それは、PC文化が作り出した「職人のリアル」とは別の、
“触れるリアル”の誕生だった。

Kunosが“未完成の自由”を信じたように、
グランツーリスモは“完成された美学”で人々を惹きつけた。
二つの道は交わらなかったが、目指す場所は同じだった。


小さな文化と大きな文化の分岐点

PCシム文化が「技術の理想」を磨く時代に、
グランツーリスモは「体験の理想」を磨いた。

片方は限られたコミュニティの中で深化し、
もう片方は世界中のリビングに“リアル”を届けた。

文化の深さと広さ――
どちらもこの時代に、確かに芽吹いていた。

そして、この二つの流れが、
数年後にゆるやかに再び交わり始めることになる。

それは、eSportsという新しい形を通してだった。

次章予告

第5章 現代のリアル──Evoと再統合の時代へ(次の章)

Mod文化の再評価、Unrealの成熟、そして“再び自由へ”。
シミュレーションは、今また「自由と秩序の調和」を探し始めている。

第3章 二つの道──商業と制度、そして“オンラインの時代”へ(前の章)


📚 参考資料

※本シリーズは、各時代の資料・インタビュー・開発史をもとに再構成した記録です。
可能な限り事実に基づいて執筆していますが、一部には当時の証言や推測を含む部分があります。
内容に誤りや補足情報がありましたら、コメントなどでお知らせいただけると幸いです。

【コメント】 あなたのSimLifeの感想やアイデアもぜひ。

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