60_リアリティ追求の歴史と文化の軌跡02

ステアリングコントローラーを握り、モニターに映るレーシングカーを見つめる男性。創造と改造の文化を象徴する油彩風の絵。
“遊ぶ”から“作る”へ。MOD文化がレースシムの自由と可能性を切り開いた。

🏁 レースシム ─リアリティ追求の歴史と文化の軌跡─

第2章 Modという革命──“作れるリアル”が文化を広げた

──2000年代初頭。
リビングのテレビの前には、PlayStation 2があった。
黒い筐体に青いディスクを差し込み、『グランツーリスモ3 A-Spec』を起動する。
ロード中に流れる実写さながらの映像。
その時代、家庭用ゲーム機の中で“リアル”はほぼ完成していた。

『グランツーリスモ4』(2004年)では光の反射、車体の質感、挙動までもが滑らかになり、
「現実を遊ぶ」感覚が当たり前になっていた。
けれどその“リアル”は、メーカーが用意した世界の中で完結していた。
プレイヤーは走ることはできても、作ることはできなかった。


◆ 触れるリアル──Image Space Incorporatedの登場

そのころ、アメリカでは別のアプローチを取る小さな会社があった。
Image Space Incorporated(ISI)
かつてPapyrus Design Groupでシミュレーション開発に携わった技術者たちが独立し、
「走るリアルを、誰もが触れるリアルにする」ことを目指した。

2005年、彼らは『rFactor』をリリースする。
外見は地味だったが、その内部構造は革命的だった。
車の物理演算・グラフィック設定・AI挙動など、
あらゆる要素が外部ファイル化されていた。

🧩 gMotor エンジンとは?

ISIが開発した独自の物理演算基盤。
各パラメータをテキストで定義できる設計で、
のちに『GTR』『Automobilista』『Le Mans Ultimate』などへ受け継がれた。

この設計によって、世界中のプレイヤーがファイルを開き、数値をいじり、
車やコースを自分で作り出すことが可能になった。
rFactorは“ゲーム”ではなく、“開発キット”に近い存在だった。


◆ “受け手”が“作り手”に変わる瞬間

最初は、ただの違和感から始まった。
「この車、挙動がちょっと軽すぎる。」
「このサーキット、もう少し路面にバンプ(うねり)が欲しい。」
誰かがファイルを開き、数値を調整した。
別の誰かがそのデータを試し、改良を加えた。
気づけば、世界中で“共同編集”のような文化が生まれていた。

Mod(モッド)=改造は、単なる遊びの延長ではなく、
「リアルを再定義する手段」へと変わっていった。

当時のMod制作は決して簡単ではなかった。
ゲーム内部を解析し、テキストを手打ちし、
ひとつのコースを完成させるまでに数か月を費やすこともあった。
それでも職人たちは続けた。
なぜなら、それこそが“自分のリアル”を掴む唯一の方法だったからだ。


◆ コミュニティという“もう一つのサーキット”

フォーラム、海外掲示板、個人サイト。
そこでは見知らぬ誰かが毎日、数値と理論を交わしていた。

「このHDVファイル、ブレーキトルクの扱いが変わったらしい。」
「AIラインを修正したら1秒縮まった。」

誰かが投稿し、別の誰かが検証し、さらに誰かが翻訳する。
世界中の職人たちがリレーのようにリアルを磨いていった。

ゲームの舞台はサーキットの中だけではなくなった。
フォーラムそのものが、もう一つの“開発現場”になったのだ。


◆ Mod文化の爆発と閉鎖

ファンは自作の車を共有し、現実のサーキットを模したコースを再現した。
『グランツーリスモ』が「与えられたリアル」だったのに対し、
rFactorは「自分で作るリアル」を提示した。

しかし、その自由は同時にハードルの高さも伴った。
車両の物理を記述するHDVファイル、AI設定のRCDファイル、
テクスチャやサウンドまで、すべてが独立構造。

ひとつの車を完成させるには、物理、3D、音響、すべての知識が必要だった。
rFactorは、自由すぎるがゆえに職人だけの世界になり、
“触れるリアル”は、次第に“理解できる者だけのリアル”へと変わっていった。


◆ 小さな会社が支えた文化

rFactorの販売形態は、当時としては珍しいダウンロード販売
価格は30〜40ドルほど。
パッケージも宣伝もなく、フォーラムと口コミだけが頼りだった。

販売数は正確には不明だが、開発者の発言などから10〜30万本規模と推測される。
『グランツーリスモ4』(約1100万本)とは桁違いだが、
社員十数名のISIにとっては十分な成功だった。

つまり、rFactorは“ニッチでも成り立ったゲーム”。
文化を優先しても倒れない、初の成功例だった。


◆ 商業的限界と技術の拡散

Modが広がるほど、公式販売は伸びにくくなる。
プレイヤーが自分で車を作るなら、追加パックを買う理由は薄れる。
ISIはそれを理解したうえで、あえて自由を優先した。

そのかわり、自社エンジンを他社にライセンス提供した。
ヨーロッパではSimBin Studiosが『GTR』『GT Legends』を、
ブラジルではReiza Studiosが『Game Stock Car』を開発。
rFactorの技術は枝分かれし、ISIは“文化の母体”として静かにその中心に座り続けた。


◆ 業務用シミュレーターへの転換

2008年以降、ISIは一般向け市場よりもプロフェッショナル用途へ軸を移す。
自動車メーカーやレーシングチーム向けに『rFactor Pro』を開発。
実車データとの連携を目的に、家庭用と同じ物理エンジンを使った。

「家庭用とプロ用の境界をなくす。どちらも同じ物理で走る世界を作る。」
──これが彼らの理念だった。

後継作『rFactor 2』(2013年)はこの思想を引き継ぎ、
グラフィックよりも物理と路面変化を最優先にした。
もはやISIは“ゲーム会社”ではなく、物理研究企業に近い存在だった。


◆ 文化を残すための選択

rFactorは、商業的な大成功とは言えない。
だが、レースシミュレーターを“文化”として成立させた最初の存在だった。

プレイヤーが作り、職人が支え、開発者が見守る。
その循環は、今日の『Assetto Corsa』『Automobilista 2』『Le Mans Ultimate』へと受け継がれている。

儲けよりも正確さを選び、
短期的なヒットよりも長期的な文化を残した会社。
小さなスタジオが蒔いた種は、いまも世界中のガレージで静かに育ち続けている。


🔻次章予告

第3章「二つの道──商業と制度、そして“オンラインの時代”へ」

rFactorが生んだ“自由”は、
ヨーロッパでは職人文化の商業化へ、
アメリカでは“秩序と制度”のリアルへと進化していく。
次章では、SimBinとiRacing、
二つの理想が交差した「黄金期と分岐の時代」を辿る。


第3章 二つの道──商業と制度、そして“オンラインの時代”へ(次の章へ進む)
第1章 スピードの夢からリアルへ──“遊び”が“文化”に変わるまで(前の章へ戻る)


📚 参考資料

※本シリーズは、各時代の資料・インタビュー・開発史をもとに再構成した記録です。
可能な限り事実に基づいて執筆していますが、一部には当時の証言や推測を含む部分があります。
内容に誤りや補足情報がありましたら、コメントなどでお知らせいただけると幸いです。

【コメント】 あなたのSimLifeの感想やアイデアもぜひ。

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